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GANGA ZUMBA

『GANGA ZUMBA』

GANGA ZUMBA
セカンド・アルバム
2008年8月20日(水) 発売

足跡のない道/きみはみらい(CM Version.)

『足跡のない道/きみはみらい(CM Version.)』

GANGA ZUMBA
セカンド・シングル
2008年6月18日(水)発売

『シェゴウ・アレグリア!~歓喜のサンバ』

GANGA ZUMBA
ファースト・シングル
2008年4月9日(水)発売


Macollaとの「ひとつしかない地球」

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ニカラグア・マナグアでのライブレポート記事で紹介した、Macollaのステージに宮沢和史が飛び入りし、日本語とスペイン語とで歌った「ひとつしかない地球」。この貴重な競演を、Podcastingとしてアップしました。ICレコーダーでの録音のため、お聞き苦しいところがあるかと思いますが、ぜひお聴きください!

音声を聞く

→ この「ひとつしかない地球」は今年1月~2月、宮沢和史のヨーロッパ・ツアーで各国のシンガーたちとそれぞれの言葉でレコーディングされた曲。ブラジル人シンガーCATIAはこの曲をポルトガル語でカバーし、リリースしています。「ひとつしかない地球」はiTunes Music Storeで購入できます。

2005年10月17日18時00分
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HIKURIのJoaquin Armandoにインタビュー

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宮沢にプレゼントを渡すHIKURIのメンバー(左)、
客席でメキシコのテレビ局のインタビューを受けるJoaquin(右)

→ メキシコから合流しているツアーblogスタッフによるインタビュー・シリーズ。
10月16日、グアナファト。メキシコで「島唄」をカバーしているバンド、HIKURI(ヒクリ)のメンバーが、彼らの町、San Luis Potosiから車で6時間かけてグアナファトのコンサート会場まで宮沢和史に会いに来てくれました! 開演前、HIKURIのリーダー、Joaquin(ホアキン)にインタビューしました。通訳はクラウディアです。
アルゼンチンで「島唄」を歌っていたことがきっかけで宮沢和史に出会い、いまMIYAZAWA-SICKの一員となっているクラウディアはもちろん、ポーランドのトメック・マコビェツキや、ロシアのディアナなど、世界に広がった「島唄」は、世界のどこかで誰かの人生のターニング・ポイントとなっています。HIKURIのJoaquinもそのひとりです。
 
―――「島唄」を知ったきっかけを教えてください。
Joaquin 日本に住んでいたいとこがメキシコに持ち帰ったCDが「島唄」だったんです。でもそれはアルフレッド・カセーロのバージョンでした。でもあの歌を聴いて、「島唄」はメキシコの人たちにも聴かせなくちゃいけないと思ったんです。平和のメッセージとして、そしてふたつの文化の架け橋としてカバーしました。
―――HIKURIのアルバムには「島唄」が4バージョンも入ってますよね。日本語のカバーの他にスペイン語であったり、メキシコの音楽要素が入っているバージョンがあったり。
Joaquin オリジナルの日本語のカバーの他に、HIKURIの音楽要素も入れたかった。メキシコの革命時代の音楽もミックスされているけれど、メキシコには戦争を語る音楽はそれしかないからです。「島唄」は戦争のことを歌っている。だから、メキシコのその時代の音楽要素をミックスしたかった。
―――HIKURIのメンバーには日系人がいますが、そのことと「島唄」をカバーしたことと関係ありますか?
Joaquin それはあまり関係ないです。「島唄」を日本語で歌い出した頃から、歌詞の意味を知りたいというファンの声がたくさんありました。それは言葉がわからなくても何かを感じたということだから、オリジナルのそのままの歌詞を伝えたかった。
あの歌詞以上に付け加えて伝えるべきものはないです。
―――最後に、宮沢と先ほど初めて会った感想を教えてください。
Joaquin この日をずっと待っていました! 僕らのバンドは、いま「島唄」を演奏することが中心になっています。僕らの町、San Luis Potosi(メキシコ北部にある)を歩いてると、「Cancion de la isla(島唄)!」と僕らは呼ばれますし、コンサートでも「日本語で歌ってください」と言われます。そのぐらい「島唄」はHIKURIにとってなくてはならない曲です。その作者のMIYAZAWAさんに会えたので感動しました。

2005年10月17日17時32分
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メキシコ・グアナファトに到着

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→ メキシコから合流したツアーblogスタッフによる同行レポートです。 10月15日朝、メキシコシティのホテルを出発。バスで約5時間かけて“セルバンティーノ国際芸術祭”が開催されているグアナファトへ。このフェスは中米でもっとも大きなフェスということで、僕らが宿泊していたメキシコシティのホテルも、各国からのフェスへの出演者、関係者が利用しています。グアナファトへのバスもMIYAZAWA-SICKと、メキシコのダンスチームと一緒に移動。メキシコシティを抜けると車窓から見えるのはずっと高原の景色だけとなり、メキシコの広さを実感します。 昼過ぎに到着したグアナファトは、さすが世界遺産の街。石畳の道、コロニアルな街並みからなる美しいところです。このグアナファトで一行が泊まるホテルも、“セルバンティーノ国際芸術祭”出演者が多く利用しています。ロビーにはフェスのブランチ・デスクが設けられ、僕らにさまざまな便宜を図ってくれます。 夕方には、街の中心部にあるフェスのサロンで宮沢和史の記者会見がありました。会見に先立ち、現地メディアのフォトグラファーたちのリクエストで、石畳の路地でフォト・セッション。会見は、スーツを着たメキシコ人の司会者の横に、クラウディア、宮沢和史が並び、その前に約10人の記者が椅子に座り、テレビカメラ2台が撮影する中で始まりました。出席者には宮沢のスペイン語によるプロフィール資料が配られ、司会者が簡単に説明し、翌日のライブをアナウンスします。「こんな素晴らしいフェスティバルに出演することができて、心から興奮しています」という宮沢の言葉からスタートです。質疑応答の時間では、歌における言語の問題が中心となりました。例えば、「日本のオルケスタ・デ・ラルスはスペイン語で歌っているが、あなたが日本語で歌うのはなぜか」といった質問など。ひとつひとつの質問に真摯に答えていく姿勢に感動したのですが、記者会見の中の回答のひとつを紹介します。 「僕の音楽は、人間が持つすべての感情を表現する、刺激するものです。笑ったり、泣いたり、あるときには怒ったり、そういう人間が持つすべての感情が出るような音楽を目指してるんです。(国によって)言葉も文化もみんな違いますが、たとえば肉親に不幸があれば悲しいし、子どもが生まれれば嬉しいし、政治家が汚職していれば怒りが湧くし、そういうことは言葉が違えどどこでも一緒だと思うので、僕は主に日本語で歌っていますが、そういう感情は伝わるのではと思っています」
 
会見の終了後には、お祭り騒ぎの街の中心部にあるメキシコ料理店でMIYAZAWA-SICK全員で夕食。グアナファトの街には音楽があふれています。メンバーみんなそれを楽しんでいます。
ここではワン・ブロック歩く間に必ずどこかで音楽を演奏する一団を見つけます。小さな広場ではヘビーロックのバンドがライブしていたし、公園ではジャズが、ポップスが、マリアッチが演奏され、ライブハウスではギターの弾き語りが、クラブではテクノのビートが鳴り、路上ではブラジルの打楽器隊がパレードしたり、自然発生的なのか歌いながら歩いてくる集団がいたりと、音楽は夜中過ぎまで、この街で鳴り続けています。
MIYAZAWA-SICKは、16日の20時からこの街のアロンディガ広場の特設ステージでライブです!

2005年10月17日17時13分
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ニカラグアでのライブ この国の風に乗った唄

10月12日、マナグア。
朝早くに目が覚める。ニカラグアの気候は本当にアジアに似ている。ねっとりと湿った空気が、バリかタイに居る気分にさせてくれる。緯度って近かったっけ??

今日のライブ会場は国立ルベン・ダリオ劇場。
ニカラグアで最大の国立劇場。中に入るととても由緒正しい趣のある会場でした。
メンバーは、ホンジュラス公演の興奮も、一旦切り替えて、いつも通りのペースを作り上げようとしている。
今日はニカラグアで「風になりたい」をカバーしている現地の人気バンド、Macolla(マコーヤ)がオープニングアクトとして参加してくれるので、ステージ裏もとってもにぎやか。とにかくみんな明るい!

開場時間になって、客席をのぞいてみると、ホンジュラスとは全く違う客層。
同じ中米といっても、「隣の国だから」なんていう常識は全く通用しない。そりゃそうだ、韓国と日本だって台湾と日本だって、近いから同じなんてことはない。それぞれにそれぞれの文化や国民性がある。それがあるから面白い!
今日のお客さん達は、みんなフォーマルにおめかししている。やはり国立劇場だからなのか? 2月のロシア・モスクワの劇場を思い出したりする。

19時をちょっと過ぎたところで、Macollaのステージが始まる。
3人の男性ボーカリストが、ダンスをあわせておどりまくる。「風になりたい」のMacollaバージョンや、「島唄」も披露してくれる。会場では、既に一緒に歌ってくれている人もいる。
そしてなんと!「ひとつしかない地球」をやります、というMCの後、宮沢を呼び込み、日本語とスペイン語を交ぜた歌詞で、競演を果たすことに。
ヨーロッパツアーでいろんな種が飛んでいったこの歌が、ついにはニカラグアにまで。スペイン語にもすごく合います、このうた!
この競演を、こちらの記事でPodcastingとしてアップしています。ぜひお聴きください。

そして、いよいよMIYAZAWA-SICKのステージへ。
熱い拍手で向かえてくれたニカラグアのオーディエンス。
1曲歌い終わるごとに、立ち上がっては大きな歓声と拍手を送ってくれる。でもまた次の曲が始まると、また座ってしまう。
後から聞いた話によると、やはりこの劇場は由緒ある国立劇場なので、立ち上がって拍手、自体もあり得ない現象とのこと。
でも「ちむぐり唄者」でステージからのあおりを受けた客席は、そんなこともお構いなしの、総立ち状態になったのでした。

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そしてアンコール。今度はMacollaのメンバーが参加しての「風になりたい」を! どこの国に行っても、その国の唄になるのは「島唄」だけじゃないんだなぁとこの土地で「風になりたい」を聴いて、そう思った。
ニカラグアの湿気た風に乗った歌になってました。

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終演後、とびっきりのおめかしをしてライブを観に来てくれていた昨日の子ども達が楽屋を訪ねてくれた。
「言葉はわからなかったけど、言っていることはすごく伝わった」って、まっすぐな瞳で話してくれた女の子。
必ずまた、この子達の前で歌う日を作りたいって思ったのは、宮沢だけじゃなく、ここにいた人たち全員の気持ちだったと思う。

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今回のPodcastingはこのライブから、「島唄」をスペイン語で紹介するMC、そして「島唄」を聴いての大歓声です。唄が伝わる瞬間をぜひ感じ取ってください!

音声を聞く

「ニカラグア・ライブ写真速報」もあわせてご覧ください。また、この公演は、ニカラグアの新聞・El Nuevo Diario紙La Prensa紙でも写真入りで報じられています。

2005年10月17日03時30分
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ニカラグアの子どもたち

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10月11日、マナグア。

1972年、ニカラグアで大地震が起こりました。首都であるマナグアでさえも30年以上も前のその大地震の被害から立ち直っていません。MIYAZAWA-SICKがコンサートを行う劇場のすぐ近くにも、廃墟となったビル群があり、スラムとなっています。

日本を出発する少し前に、そこで暮らす子ども達に音楽や工作を教えている日本の青年海外協力隊員から、長い手紙を受け取りました。
私たちはその手紙を読んで、子ども達に会いに行きました。崩壊したビルに暮らす彼らの多くは、貧困や虐待のために学校に行くことすらできません。私たちの日常からは想像できない現実がここにはあります。

ここで彼ら、彼女たちに出会えたこと、一緒に歌を歌えたこと、私にはまだ、その経験を言葉でうまく伝えることができません。

2005年10月17日01時43分
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