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GANGA ZUMBA

『GANGA ZUMBA』

GANGA ZUMBA
セカンド・アルバム
2008年8月20日(水) 発売

足跡のない道/きみはみらい(CM Version.)

『足跡のない道/きみはみらい(CM Version.)』

GANGA ZUMBA
セカンド・シングル
2008年6月18日(水)発売

『シェゴウ・アレグリア!~歓喜のサンバ』

GANGA ZUMBA
ファースト・シングル
2008年4月9日(水)発売


ニカラグアでの掲載記事

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→ 上は、ニカラグアの新聞「LA PRENSA」に、ライブが行なわれた10月13日の前日に掲載された記事です。各国での掲載記事は、確認次第、それぞれのエントリーに補足しています。グアナファト(10月16日)の追加記事もご覧ください。
また、新たに発見した記事等ありましたら、コメント欄でお知らせください。

2005年10月26日21時21分
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ハバナでの野外コンサート ハリケーン「Wilma」のため中止

10月19日、Tribuna Antimperialistaで開催予定だったコンサートはキューバに接近中のハリケーン「Wilma」のため、中止になりました。
18日夜にカテゴリー2(その勢力を表す単位。5が最強)だったハリケーン「Wilma」は、19日朝にはカテゴリー5という最大規模に発達しました。
会場では早朝からスタッフが機材の準備をしていたのですが、午前中にキューバ政府からの通達があり、コンサートの中止が決定しました。Tribuna Antimperialistaは海岸沿いに位置する野外会場です。ツアー最終日に本当に残念なことですが、ライブは中止です。順延等はありません。

なお、「Wilma」の影響により帰国の遅れていた“CUBA MEEITNG”Cコースの参加者は、10月27日午後の成田到着便で無事帰国しました。

→ 10月18日、カール・マルクス劇場(ハバナ)は無事に行なわれています。 現地メディアによるライブのレポートがこちらに写真や演奏曲目と共に出ています。また、Prensa LatinaDIARIO Granmaでもライブの記事を見ることができます。
※以前、この欄で、「ライブ速報記事がこちらに写真入りでアップされています」と紹介しましたが、これは告知記事の間違いでした。訂正します。

2005年10月20日23時33分
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ハバナ速報 まもなくライブです

→ ツアーblogスタッフによるファクス速報。現在キューバは10月18日18時54分。あと2時間でライブがスタートです。今日は午前中に、プレスセンターで記者会見が開かれました。出席したのはもちろん、宮沢和史とMoneda Duraのリーダー、Nassiry Lugo。会場には約40人のメディアが集まり、次々に質問が飛びました。全部を紹介したいところですが、宮沢の回答を少しだけ紹介します。
 
——コンサートへの意気込み。
宮沢 MIYAZAWAの音楽にはいろんなリズム、メロディ、メッセージがあるんだということを伝えたい。MIYAZAWAの世界を短い時間でたくさん観てもらいたい。
——Moneda Duraの「島唄」について。
宮沢 「島唄」はいろんな国でいろんなアレンジでカバーされていますが、昨日(17日)、Moneda Duraのリハーサルを観せてもらったら、今まで聴いたことがない本当に素晴らしいアレンジで「島唄」が演奏されていて、興奮してドキドキしています。どんなアレンジなのかは今夜のコンサートがあるの言えませんが(笑)。彼が言うには(「島唄」)はメッセージがシリアスなので、明るく楽しくアレンジしようというのではなく、キューバらしいディープなリズムでアレンジしたそうです。

2005年10月19日12時36分
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La convension de UN SUENO

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→ キューバのフリーマガジン『Cartelra』の巻頭に、宮沢和史のインタビュー記事が1ページを使って紹介されていました。
タイトルは「La convension de UN SUENO」。スペイン語のテキストですが、英語の記事も並記してあり、そちらのタイトルは「A dream come true」となっています。テキストの仲で特に興味深いのは、ハバナ公演で共演するキューバのロックバンド、Moneda Duraに関する部分。バンド・リーダーのNassiry Lugoは、「島唄」をMoneda Duraで "el togue cubano" (キューバ風)に演奏することを決めたそうです。
宮沢は今年8月にハバナを訪れた際に、Nassiryと出会い(写真もそのときのもの)、さまざまなインタビューを受けています。その時の記事はこちらこちら

2005年10月19日00時11分
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メキシコ・グアナファトのライブ報告

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(左)リハーサルを見守る老夫婦
(右)開場直後の客席。開演前には満席!

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(左)入りきれなかった人たちが壁の上から観ています
(右)子どもも笑顔!

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(左)空には満月が輝いていました
(右)終演後の高野寛とHIKURIのメンバー

→ メキシコから合流したツアーblogスタッフによるMIYAZAWA-SICK同行レポート。現在はすでにキューバ・ハバナ。まもなく10月17日23時となります。今日は、長旅でした。早朝4時にメキシコ・グアナファトのホテルをバスで出発し、約5時間かけてメキシコシティの空港に到着。すでに旅のエキスパートとなっている全員で荷物のチェックインをテキパキと進め、正午発のメキシカーナ航空で2時間30分の空の旅。ついに、今回のツアー最後の訪問地キューバ・ハバナです。
 
昨夜ライブを行なったメキシコ・グアナファトは、「世界文化遺産の指定も当然!」と納得の美しい町です。石畳の道が広場と広場をつなげながら、丘の頂きに延びています。その斜面にはパステルカラーで塗られた家々が並び、町のあちこちには中世の建築様式による教会が建っています。このグアナファトでMIYAZAWA-SICKに用意されたのは、アロンディガ広場の特設野外ステージ。会場は坂をうまく利用したすり鉢状となっていて、ステージは底に位置し、客席は斜面に階段を使って設けています。入場者数は主催者側の発表によると6,000人。でも実際は会場横の坂道から鈴なりになって観ていた人たちもいたので、それよりもずっと多くの人がいました。メキシコでは無名に近いはずのMIYAZAWA-SICKが、どうしてこんなにも集客ができたのか。その理由のひとつは、この時期グアナファトで開催されている“セルバンティーノ国際芸術祭”によるものです。町には中米の各国から、音楽、芸術好きな人たちが集まっています。約3週間に渡って開催されるフェスなので、出演者やその関係者もたくさんこの町に滞在しています。つまりこの時期、グアナファトは音楽好きの人たちであふれていたのです。
お昼過ぎから始まったサウンドチェックとリハーサルの音に、早くもたくさんの人が集まり始めました。野外で、その音は2ブロックぐらい先まで響く音で、そしてあのリズムですから、もうこれだけで宣伝効果はすごいです。若者からお年寄りまで、いろんな人がリハーサルを観ています。日本人のグループにも何組か会いました。トルーカやイルバードといった近郊の町から来てくれた人たち(感謝)、日本から観に来た(僕と同じだ)という人たちもいました。
開演の1時間前には入場を待つ人たちが会場の外に1ブロック以上並び、20時には満員。ステージに登場したMIYAZAWA-SICKは大きな、大きな歓声と拍手で迎えられました。
メキシコから合流した僕にとっては、この中南米ツアーで初めて観るライブ。外国で観るMIYAZAWA-SICKは今年2月のポーランド公演以来です。三線のイントロに続きパーカッションが入った瞬間に、客席に最初のどよめきが起こりました。何度味わってもこの瞬間は鳥肌が立ちます。日本から遠く離れた町で、こんなに熱く迎えられてるんですよ! フェルナンドのピアノに再び拍手が湧きました。二胡の音色の美しさにみんな息を飲みました(これは音がしないから、推測)。MIYAは全身で歌を伝えています。クラウディアが大きなアクションで手拍子を促し、そこにマルコス・スザーノの必殺のパンディロが炸裂です。何度もあったこんな「鳥肌」な瞬間すべてを描写はできませんが、MIYAZAWA-SICKはとんでもなく強力なバンドです。本当にうれしくなってしまいます。国も言葉も文化も違うけど、ここで一緒に踊り、手拍子し、拍手し、口笛を吹いている人たちはみんな僕らの仲間です。僕は途中から、ステージを眺めるよりも客席の反応をずっと追っていました。最前列に近い位置を陣取って観ているHIKURIのメンバーたちの表情も観たいし(彼らはこれが初のMIYAZAWA-SICK体験です)、ポーランドの会場で出会った人たちもこの場にいたらいいのになとか、世界中のファンとこの喜びを分かち合いたくなります。
アンコールを求める「オウトラ、オウトラ」という声は大合唱となりました。MIYAZAWA-SICKが再びステージに出てきたときの歓声は日本でも体験できない程のものでした。MIYAはこのときスペイン語ではなく、初めて日本語で話しました。「ありがとう!」と。続いての「踊ってください」という日本語をステージの右側からクラウディアが、左側からルイスがほぼ同時にスペイン語に訳して観客に伝えました(さらにMIYAが続けた「腰をまわしてください」は、クラウディアは笑ってしまって訳せなかった)。素晴らしいコンビネーション!
終演後、僕は日本から持ってきたアルバムを会場で売ったのですが、文字通り飛ぶように売れました。「グラシアス(ありがとう)」より「ウン・モメント(ちょっと待ってください)」という言葉をたくさん言ったぐらいです。会場からホテルに戻るバスに乗り込むMIYAZAWA-SICKを、たくさんの人たちが歌で——スペイン語だったので内容はわかりませんが——送り出してくれました。最高の夜でした。

→ この日のライブの模様はフェス公式サイトでのレポートで詳しく報じられています。また、記者会見の写真がこちら、ライブ写真がこちらにアップされています。

2005年10月18日14時24分
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