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AFROSICK FAQ
『AFROSICK』に関する質問に答えるコーナーです。みなさんからの質問をお待ちしています。
質問はboom@five-d.co.jpまで。(メールのタイトルはafro-faqでお願いします)



AFROSICK FAQ(マルコス・スザーノ編)

リオデジャネイロ・レコーディングのプロデュースをしたマルコス・スザーノについて教えてください。
1963年、リオデジャネイロ出身。現在、世界のパーッカッショニストの中で最も忙しく、一番の才能をもっていると言われている人物である。タンバリンに似た形の打楽器、パンデイロを独自の奏法で操り、たった一人でドラム・マシーン以上に多彩なグルーヴとサウンドを叩き出し、リズムをハーモナイズさせる。その様は、まさに“パンデイロの魔術師”と呼ぶに相応しい。また、そのサウンドのバック・グラウンドに散見できるアフロ・グルーヴはトラディショナルなサンバを彼自身が血肉化させている証しであろう。97年6月にはレニーニ&スザーノ名義で、また98年2月にはソロ・アルバム『サンバタウン』と同じラインナップで来日。パートナーのフェルナンド・モウラ(Key)と共に宮沢和史コンサート・ツアー「Sixteenth Moon」「AFROSICK」にも参加。その怒涛のグルーヴで多くの観衆を魅了した。2000年3月にはセカンド・ソロ・アルバム『FLASH』をリリース。夏にはカルロス・マルタ&ビフィ・ムデルノfeat マルコス・スザーノとして来日。ショーロ・クラブともライヴを行なう。



AFROSICK FAQ(レニーニ編)

「ILUSAO DE ETICA」「E TUDO TAO MENOR」を作詞し、レコーディングに参加したレニーニについて教えてください。
1959年、ブラジル北東部レシーフェ出身。マルコス・スザーノとのデュオ、レニーニ&スザーノ名義で93年にアルバム『オーリョ・ヂ・ペイシェ』をリリース。マルコスとの完璧なコンビネーションによって創出されたリズムとメロディーを同時に掻鳴らすパーカッシブなギター・プレイは世界を刮目させた。97年末には、何と13年振りとなるソロ・アルバム『未知との遭遇の日』をリリース。ファクス・モデムのパルス・ノイズがイントロダクションを飾るこの作品にはモンド/ストレンジ・ミュージックからブレイク・ビーツまで、現代のあらゆる音楽と接点を持ちつつも、まさに“レニーニ的”としか形容し難い不思議でスタイリッシュな世界が構築されている。98年6月にはマルコス・スザーノと共に再び来日し、エキサイティングなステージを行なうとともに、『AFROSICK』からの数曲を宮沢和史と共演した。99年には新作『アンダー・プレッシャー』を発表。99年ブラジル・ディスク大賞関係者投票で1位を獲得。2000年6月には自らのバンドを率いて来日。


AFROSICK FAQ(ポルトガル語ヴァージョン編)

REMIKOさんからE-mailでの質問です。
『AFROSICK』ブラジル盤が見当たりません(~_~;)。なぜでしょう・・・・
とりあえず大きいレコード店にいってみただけなのですがねえ。
全編ポルトガル語のブラジル盤は日本ではブラジルからの輸入販売のため、品切れをおこしてるところもあるようです。そこで、オリジナル・ポルトガル語ヴァージョンに、リミックスを4ヴァージョン、ボーナストラックとして加えた日本だけの編集盤『AFROSICK(ポルトガル語ヴァージョン)』(TOCP-50727/2548円(定価))が98年10月16日、東芝EMIより発売されます。中原仁氏による解説、宮沢和史のセルフライナーノーツ、参加ミュージシャンの紹介、そして対訳が付きます。


AFROSICK FAQ(ジャケット・デザイナー編)

アルバムのジャケット・デザインを担当したのは誰ですか?
ブラジル人のデザイナー、MUTI RANDOLPH(ムチ・ランドルフ)です。29歳という若さで、ブラジルのコカコーラやジレット等の大企業の広告や、MIYAも好きなブラジルのラップ・グループPLANET HEMPのアルバム・ジャケットなど数々の作品を手掛けています。得意分野はMacintoshを使ったコンピュータ・グラフィックスです。 今回の『AFROSICK』のジャケットも、ブラジルで撮影したMIYAの写真とオリジナルのCGを合成したもので、仏像、竹、槍といった彼なりの日本観が反映されているようです。


AFROSICK FAQ(ペドロ・ルイス編)

「BRASILEIRO EM TOQUIO」を作詞したペドロ・ルイスについて教えてください。
『AFROSICK』で3曲の歌詞を手がけているペドロ・ルイスはリオデジャネイロ出身のシンガーソングライター。ペドロ・ルイス&パレージというバンドを率いて、97年『Astronauta Tupy』というアルバムを発表、各プレスで高い評価を得ています。ペドロ・ルイスのギターとヴォーカル、そして3人のパーカッションとベースという5人編成のバンドが生み出すのは、「ロックのプレッシャーを受けたブラジリアン・バトゥカーダ」。マルコス・スザーノも彼の才能を強力に推薦。MIYAも「90年代ブラジル最後を飾る最高のシンガーソングライターだ」と賞賛しています。7月25日に日本でも発売になるこのアルバムには、MIYAのライナーノート付き。すでに東京でもヒット中のアルバム1曲目「Pena de Vida」のビデオクリップには、レニーニも登場しているそうです。


AFROSICK FAQ(パウリーニョ・モスカ編)

「DUVIDA CERTA」「EM BUSCA DA ALMA PERDIDA」の2曲を作詞したパウリーニョ・モスカについて教えてください。
リオデジャネイロ出身。インテリ系ロックバンドでデビュー後、ソロとして3枚のアルバムをリリース。ブリティッシュ・ロックやジャズ、R&B、ファンクなどをフレイヴァーとしたそれらの作品は、ネイティヴな素養としてのブラジル音楽に加え、英米のロックなどを後天的に体得しているブラジルの新世代を代表するサウンドである。ポストMPBとも言える彼のシンガー・ソングライターとしてのキャリアだが、2作目からはマルコス・スザーノが全面参加し、リズム・パートをバックアップ、97年にリリースされたサード・アルバムにはレニーニとの共作曲も収録されている。ギター、ピアノは勿論、テルミンまでをもこなし、ノーマン・クックをカヴァーするマルチ・タレンテッドなミュージシャンである。99年にはフォース・アルバム『MOBILE』をリリース。公式ホームページはこちら


AFROSICK FAQ(MIYAがお答え編)
極東ラジオ第66回(98年7月5日放送分)をまとめてみました。

オリジナル・ポルトガル語ヴァージョンと日本語ヴァージョン、言葉以外の違いはあるんですか?
かいつまんで言うと、ブラジル版は全曲、ポルトガル語です。日本語ヴァージョンは2曲が原曲のポルトガル語のままですね。言葉以外の違いは、ジャケットが違います。同じデザイナーが作ったんですが、違う写真を使っています。安室奈美恵さんが昔、同時期に4種類違うジャケットを出しましたが、それを狙ったわけではありません(笑)、我々もちょっと混乱してるので(笑)、見てすぐわかるように違うジャケットにしています。どっちもいいので見てください。あと、日本語で録り直してるので、若干ミックスが違うし、「愛を見失うほど」は「NA PALMA DA MAO」という曲が原曲なんですが、最初のポルトガル語のトースティング(ラップ)が、日本語版では、僕が新しく書いた詞ではちょっと意味が違ってきてしまったんで、僕の親友であるジャマイカンのトースターであり、DJであり、ドラマーであるキャタピラ(THE BOOM「帰ろうかな」「Call my name」に参加)が新たに歌詞に合うリリックでトースティングし直してます。そのへんも違うし、ミックスダウンもマスタリングも違います。他にはないですね。

ポルトガル語で歌うのと英語で歌うのはどっちが大変だったですか?
ロンドンで録った『Sixteenth Moon』の中では2曲、もう1曲予備の曲を入れると3曲を英語で歌ったんですが、実は英語で歌う方が大変だったんですね。BOOMでも英語で歌ったことはあるんですが、英語はなまじちょっと知ってるものだから、自分の癖が取れないんですね。「R」の発音とか「TH」とか「L」の発音とか。アメリカとイギリスの英語の違いもあって、かなり注文つけられたんです。英語っぽく聞こえればいいっていうのではなくて、どうせならイギリス人が聴いても意味がわかり「いい曲だ」と思われるぐらいのクオリティまでいこうとロンドンで話し合いをしたものですから、癖を取るのに非常に苦労しました。逆にポルトガル語は喋れないから(笑)、「こう言え」って言われて、そう発音すると、「それでいいんだよ、君」ということになって(笑)、予備知識がない分、自然にピュアに、子供が言語を習うのが速いのと一緒で、先入観がない分、若干時間が速かったと思います。ここで思ったのは、いろいろ考えすぎて、どういう歌い方にしようかといつも悩んでしまう日本語が実はいちばん時間がかかってしまうような気がします。ポルトガル語の場合はレニーニたちが仮唄を歌ってくれましたから、それがすごくお手本になったんで楽だったんですが、日本語で歌うにはお手本がないだけに、いちばん難しい気がしますね。

日本語の歌詞はポルトガル語の歌詞を訳したものなんですか?
曲によって違うんです。「ブラジル人・イン・トーキョー」ではほとんど直訳に近く訳しています。ただしちょっと面白みを入れるために、「秋葉原」とか「職安通り」なんていう日本の地名は僕がアレンジして入れています。あとは曲のキーワードやタイトルの一部だけいただいて、僕が全然違う詞にねじ伏せちゃった曲もあるし、本人の志、こういうことを言いたいんだ、というツボだけを押さえて、周辺を日本の社会事情に合うようにいじくったりしてる曲もあったり、曲によってさまざまなので、ポルトガル語の対訳と照らし合わせて、楽しんでいただけたらと思います。


AFROSICK FAQ(リリース編)


『AFROSICK』はブラジルでリリースされるのですか?
全曲ポルトガル語でレコーディングされたポルトガル語盤『AFROSICK』が98年6月上旬、BRASIL EMIよりリリースされます。ブラジルでのアーティスト名はMIYAZAWA です。

ポルトガル語盤『AFROSICK』を日本で手に入れるにはどうしたらよいのですか?
98年7月8日、ポルトガル語盤に帯と歌詞対訳をつけた『AFROSICK』(TOCP-50596, 2752円)が日本全国のレコード店で販売されます。帯と歌詞対訳以外の内容はブラジルで販売されているものと同じです。

ブラジルからの直輸入盤は6月中旬頃から大手輸入レコード店で販売される予定です。こちらは帯も対訳もついてません。

98年5月27日にリリースされるシングル「ブラジル人・イン・トーキョー」は日本語ですか?
「ブラジル人・イン・トーキョー」とカップリング曲「矮小な惑星」は、“Sixteenth Moon”ツアーでも披露された「BRASILEIRO EM TOQUIO」と「E TUDO TAO MENOR」に日本語詞を付けレコーディングされたものです。
「ブラジル人・イン・トーキョー」のオリジナル・ポルトガル語ヴァージョン「BRASILEIRO EM TOQUIO」も収録された3曲入りシングルです。

7月8日は日本語盤とポルトガル語盤が同時発売になるのですか?
日本語盤(TODT-10311, 3059円)は生産工程の遅れにより、98年7月18日(土)に延期されました。尚、この日本語盤では全11曲のうち8曲が日本語で歌われています。ぜひ聞き比べてください。また、オリジナル・ポルトガル語ヴァージョンの発売は予定通り98年7月8日(水)に発売致します。これは東芝EMIがブラジルから輸入、販売するポルトガル語ヴァージョン『AFROSICK』(TOCP-50596, 2752円)で、一足早く輸入CDショップなので発売されているブラジル盤に、帯と対訳を付けたものです。



AFROSICK FAQ(サルヴァドール編)
『AFROSICK』最初のレコーディング地、サルヴァドールについての質問です。『AFROSICK』のレコーディングはブラジル北東部バイーア州サルヴァドールで、カルリーニョス・ブラウンとともに始まりました。


サルヴァドールで録音されたのはどの曲ですか?
97年12月中旬、ロンドンで『Sixteenth Moon』のレコーディングを終えた宮沢和史がその足で向かった地がブラジルのサルヴァドール。「CAPITA DE AREIA」「ANJOS(IRAMAOS)」「LAIAS」の3曲がこのサルヴァドールでカルリーニョス・ブラウンとともにレコーディングされました。ポルトガル語の歌詞はカルリーニョスによるものです。

サルヴァドールはどんなところですか?
ブラジル北東部、バイーア州の州都がサルヴァドールです。労働力として連れてこられたアフリカ人たちの文化が色濃く残る土地です。96年5月9日、10日、THE BOOMはサルヴァドールで行なわれた“Fest'in Bahia”に出演しました。このツアーの模様はビデオ『Brasil』に収録されています。また、web上のブラジルツアー日記で読むことができます。

サルヴァドールでのレコーディングに参加したカルリーニョス・ブラウンについて教えてください。
1962年、バイーア州のサルヴァドールで生まれたカルリーニョスは、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、マリーザ・モンチ、ダニエラ・メルクリなどブラジルを代表する錚々たるシンガー達に楽曲を提供するコンポーザーであり、カリスマ性を備えたプロデューサーでもあります。92年に派手なボディ・ペインティングをしたパーカッション・ユニット、チンバラーダを地元の若者達をメンバーとして結成させました。カルリーニョス自らのポケット・マネーでパーカッションを買い与えたというユニークな始まりに加え、メンバーの練習場も兼ねたコロシアムも私費を投じて建設するといった本当の意味でのストリート感覚溢れる人物です。96年には初のソロ・アルバム『バイーアの空の下で』をリリース。ファンクやアフロ、ラップ、レゲエなど、様々なジャンルを含みながらも、グルーヴィでポップな質感を漂わせる稀有な音楽性を誇るこのアルバムは、ブラジルのみならず、世界的な評価を得ている作品です。
MIYAのカルリーニョス・ブラウンへのコメントはここで読むことができます。

「Capita de Areia」ってどんな意味ですか?
ジョルジェ・アマードの小説「Capitaes da Areia(邦題:砂の戦士たち)」(彩流社)が元になっています。サルヴァドールのストリート・チルドレンを描いた小説で、MIYAはこの小説の帯に推薦文を寄せています。
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