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『アフロシック』は、ありきたりの「有名アーティストによる海外録音」ではない。立派なお膳立てが準備されたところにスターがぽんと海外のスタジオへワープしてしまう録音は多いようだが、宮沢和史は、そもそもそんな行為に満足するような男ではない。
 宮沢がソロ第2弾の制作地としてブラジルを選んだことについては、確かな理由がある。ブラジルが現在世界一強靭にして多様な肉体リズムを持つ国であること、また音楽に対して世界でもっとも開かれた頭脳を持ち、新たな同時代音楽を創るにふさわしい場所であること、だ。
 彼の旋律とアイディアはブラジル同世代のアーティストをたちまち奮い立たせ、結果、このソロ最新作は世界中のどこにもない「新たな音楽創造」という成果をもたらした。

『アフロシック』には、普通イメージするようなブラジル性は片鱗もない。ザ・ブーム名義で発表した『極東サンバ』で見られたようなサンバやボサノヴァは1曲もない。『トロピカリズム』で漏れ聴こえてきたブラジルの歴史的ムーヴメントへの複雑な憧憬や共鳴も、ここには存在しない。
 だが、ずっと宮沢は、ブラジル人との共同プロジェクトの可能性を確信していた。何年も膨大な量のアルバムを聴き続け、96年5月にはブラジル3都市でのツアーを実現させ、ブラジルの今のエネルギーを肌で感じてきた彼の、これは正しい直感だった。
 宮沢は、自分にしか創り得ない強靭な旋律を携えて、ブラジル音楽の最前線に浮上してきたばかりの同世代人らと、濃密な共同作業を開始したのだ。

 時は97年12月。場所は、ソロ第1弾『Six- teenth Moon』の録音地、真冬のロンドンからいきなり跳躍して南半球ブラジルのサルヴァドールとリオ、真夏の2大音楽拠点。
 比類なきエネルギーを擁する北東部バイーアのサルヴァドールでは、路上のカーニヴァルの帝王カルリーニョス・ブラウンが、オリエンタルな宮沢旋律に感銘を受けていた。
 スタジオ内で即興的に浮かんだ言葉を、カルリーニョスは紙に書き綴ってゆく。宮沢と一緒に歌ってみては、また思考を繰り返す。ギターを持ち出し、限りないイメージをふくらませては、再び瞑想に戻るといった具合。そのドレッドヘアのカリスマの周囲には、膨大な打楽器群を持ち込み、やたら楽しげに熱いアンサンブルを叩き続けるストリート生まれのプレイヤーたちがおり、さらにカルリーニョス一派のギタリストらが宮沢と一緒になって限りないサウンド・アイディアを繰り出していったのだ。
 この世界一激烈な打楽器奏者に3曲、今回のアルバム中もっとも繊細、精神的なパートを託した、プロデューサー宮沢の勝利である。
 カルリーニョスは語る。
「宮沢は、バイーアの中に潜むスピリチュアルな部分を引き出してくれた。動ではなく静の部分を。我々の共作はまだ続く。実はスタジオで、もう新曲が誕生しているんだ」
 生粋のカリオカ(リオデジャネイロ市生まれ)、パンデイロ(タンバリン状の打楽器)のサウンドを塗り替えてしまった革命児たるパーカッショニスト、マルコス・スザーノ。彼こそが、リオにおける宮沢の共謀者だ。録音は98年1月半ばまで行なわれた。
 スザーノもまた宮沢旋律に突き動かされて、3人の未来世紀ブラジルを象徴する詩人を引っ張ってきた。レニーニ、パウリーニョ・モスカ、ペドロ・ルイス。彼らはいずれも、これまでのブラジル音楽からは異端とも聴こえる独自の言語を、自らの旋律と肉体リズムの内に取り込んできたニュー・ジェネレーションと呼ぶにふさわしいアーティストだ。詩作のクオリティは、まったく素晴らしい。暴力的、あるいは哲学的なこれらの詩作は、今の若いブラジルの聞き手にも、圧巻の支持を得るはずだ。
 サウンド面では、世界中の最新音楽情報にアンテナを研ぎ澄ませているスザーノが、魔術のごときテクニックとコラージュ精神を駆使してみせている。一発で彼の音と解るパンデイロはもちろんのこと、40種類近くストックがあるという彼のリズム・サンプル(サンプラーではなく、肉体のリズム・サンプルがあるから、この国は強力なのだ)から、彼はとっておきの未使用ヴァージョンを惜しげもなく披露している。

「このアルバムには、ブラジルの新しい才能と価値観が集結している。プロジェクトは絶対うまくゆくと信じていた。宮沢の意図がはっきり汲み取れたからだ。これは、間違いなく新しい音楽だ。創造作業はポジティヴそのものだった」と語るのは、スザーノとタッグを組んでプロデュースを務めているキーボード奏者のフェルナンド・モウラ。
 もう一人のプロデューサー、サンパウロ生まれ、今のサウンドを操る寵児ビヂも、得意の遊び心を宮沢によって絶妙に掻き立てられた。スタジオは、いまだかつてブラジルにも存在しなかった「新たな試み」に、絶えず沸き返っていた。さまざまな魂が常に嬉々として、ひとつのアルバム制作という目的目指して踊っていたのだ。
 スザーノは誇りをもって言う。
「録音には、リオとサンパウロから最高のメンバーを集めた。みんな興奮しきっていた。参加しなかったミュージシャンまでが、日本人と今どんな音楽をやってんだ?と興味津々で尋ねてきた。このアルバムは、新たな音楽言語でアフロ性を示した初の作品だ」

 ブラジル音楽がようやく迎えつつある新次元。その現在を牽引するクリエイターらが、宮沢の創意に最高の形で応え完成したのが『アフロシック』である。
 だからこそ、同世代人のアイディアを結実させたこのアルバムがひとつの起爆剤となり、ブラジル、ひいては世界に及ぼすであろう途方もないエネルギーの行方について、我々はしっかりアタマと心を開いて感じ取らねばならない。
MIYA
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