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移民船笠戸丸の運命 2007.09.14


 ブラジルで「カサトマル」と言えば、日系移民の代名詞。第一回移民船として1908年に神戸港を出港した笠戸丸のことだ。同年6 月18日、サントス港には、781人という大移民団が到着。それからおよそ100年、150万人を超える世界最大の日系社会が築かれようとは、誰が予想できただろうか。ブラジルの日系人口は、福岡市の138万人や、エストニア共和国の139万人より多い。
移民にとって、笠戸丸はどこまでも偉大だ。
 しかし、その記念すべき船は戦争に巻き込まれ、今はカムチャツカ半島沖の青く冷たい海の底に沈んでいる。

 この船が建造されたのは英国で、貨客船として1900年に建造された。はじめはロシアの兵員運搬船として軍事目的に使われ、後に日露戦争によって日本のものとなる。
 そして、移民船笠戸丸として生まれ変わり、ブラジルと日本を往復。この移民船としての活躍時期が、笠戸丸にとってまさに栄光の時代だった。
 数年後、移民船としての役目を終えた笠戸丸は、水産加工船となる。

 笠戸丸が海に沈められたのは、第二次世界大戦の終戦直後45年8月のこと。かつての主人であるソ連軍によってオホーツク海に沈められたのだった。
 2007年6月20日付けの朝日新聞によると、笠戸丸のいかりなどを海中から引き揚げる構想が日系移民によって計画されているという。現在はロシア領のため、沈没地点などの特定にはロシア政府の協力が必要となるが、もし引き揚げられれば、移民100周年やブラジル日系社会を象徴する懐かしきシンボルとなる。


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