メキシコ・グアナファトに到着
→ メキシコから合流したツアーblogスタッフによる同行レポートです。
10月15日朝、メキシコシティのホテルを出発。バスで約5時間かけて“セルバンティーノ国際芸術祭”が開催されているグアナファトへ。このフェスは中米でもっとも大きなフェスということで、僕らが宿泊していたメキシコシティのホテルも、各国からのフェスへの出演者、関係者が利用しています。グアナファトへのバスもMIYAZAWA-SICKと、メキシコのダンスチームと一緒に移動。メキシコシティを抜けると車窓から見えるのはずっと高原の景色だけとなり、メキシコの広さを実感します。
昼過ぎに到着したグアナファトは、さすが世界遺産の街。石畳の道、コロニアルな街並みからなる美しいところです。このグアナファトで一行が泊まるホテルも、“セルバンティーノ国際芸術祭”出演者が多く利用しています。ロビーにはフェスのブランチ・デスクが設けられ、僕らにさまざまな便宜を図ってくれます。
夕方には、街の中心部にあるフェスのサロンで宮沢和史の記者会見がありました。会見に先立ち、現地メディアのフォトグラファーたちのリクエストで、石畳の路地でフォト・セッション。会見は、スーツを着たメキシコ人の司会者の横に、クラウディア、宮沢和史が並び、その前に約10人の記者が椅子に座り、テレビカメラ2台が撮影する中で始まりました。出席者には宮沢のスペイン語によるプロフィール資料が配られ、司会者が簡単に説明し、翌日のライブをアナウンスします。「こんな素晴らしいフェスティバルに出演することができて、心から興奮しています」という宮沢の言葉からスタートです。質疑応答の時間では、歌における言語の問題が中心となりました。例えば、「日本のオルケスタ・デ・ラルスはスペイン語で歌っているが、あなたが日本語で歌うのはなぜか」といった質問など。ひとつひとつの質問に真摯に答えていく姿勢に感動したのですが、記者会見の中の回答のひとつを紹介します。
「僕の音楽は、人間が持つすべての感情を表現する、刺激するものです。笑ったり、泣いたり、あるときには怒ったり、そういう人間が持つすべての感情が出るような音楽を目指してるんです。(国によって)言葉も文化もみんな違いますが、たとえば肉親に不幸があれば悲しいし、子どもが生まれれば嬉しいし、政治家が汚職していれば怒りが湧くし、そういうことは言葉が違えどどこでも一緒だと思うので、僕は主に日本語で歌っていますが、そういう感情は伝わるのではと思っています」
会見の終了後には、お祭り騒ぎの街の中心部にあるメキシコ料理店でMIYAZAWA-SICK全員で夕食。グアナファトの街には音楽があふれています。メンバーみんなそれを楽しんでいます。
ここではワン・ブロック歩く間に必ずどこかで音楽を演奏する一団を見つけます。小さな広場ではヘビーロックのバンドがライブしていたし、公園ではジャズが、ポップスが、マリアッチが演奏され、ライブハウスではギターの弾き語りが、クラブではテクノのビートが鳴り、路上ではブラジルの打楽器隊がパレードしたり、自然発生的なのか歌いながら歩いてくる集団がいたりと、音楽は夜中過ぎまで、この街で鳴り続けています。
MIYAZAWA-SICKは、16日の20時からこの街のアロンディガ広場の特設ステージでライブです!
ニカラグアでのライブ この国の風に乗った唄
10月12日、マナグア。
朝早くに目が覚める。ニカラグアの気候は本当にアジアに似ている。ねっとりと湿った空気が、バリかタイに居る気分にさせてくれる。緯度って近かったっけ??
今日のライブ会場は国立ルベン・ダリオ劇場。
ニカラグアで最大の国立劇場。中に入るととても由緒正しい趣のある会場でした。
メンバーは、ホンジュラス公演の興奮も、一旦切り替えて、いつも通りのペースを作り上げようとしている。
今日はニカラグアで「風になりたい」をカバーしている現地の人気バンド、Macolla(マコーヤ)がオープニングアクトとして参加してくれるので、ステージ裏もとってもにぎやか。とにかくみんな明るい!
開場時間になって、客席をのぞいてみると、ホンジュラスとは全く違う客層。
同じ中米といっても、「隣の国だから」なんていう常識は全く通用しない。そりゃそうだ、韓国と日本だって台湾と日本だって、近いから同じなんてことはない。それぞれにそれぞれの文化や国民性がある。それがあるから面白い!
今日のお客さん達は、みんなフォーマルにおめかししている。やはり国立劇場だからなのか? 2月のロシア・モスクワの劇場を思い出したりする。
19時をちょっと過ぎたところで、Macollaのステージが始まる。
3人の男性ボーカリストが、ダンスをあわせておどりまくる。「風になりたい」のMacollaバージョンや、「島唄」も披露してくれる。会場では、既に一緒に歌ってくれている人もいる。
そしてなんと!「ひとつしかない地球」をやります、というMCの後、宮沢を呼び込み、日本語とスペイン語を交ぜた歌詞で、競演を果たすことに。
ヨーロッパツアーでいろんな種が飛んでいったこの歌が、ついにはニカラグアにまで。スペイン語にもすごく合います、このうた!
この競演を、こちらの記事でPodcastingとしてアップしています。ぜひお聴きください。
そして、いよいよMIYAZAWA-SICKのステージへ。
熱い拍手で向かえてくれたニカラグアのオーディエンス。
1曲歌い終わるごとに、立ち上がっては大きな歓声と拍手を送ってくれる。でもまた次の曲が始まると、また座ってしまう。
後から聞いた話によると、やはりこの劇場は由緒ある国立劇場なので、立ち上がって拍手、自体もあり得ない現象とのこと。
でも「ちむぐり唄者」でステージからのあおりを受けた客席は、そんなこともお構いなしの、総立ち状態になったのでした。
そしてアンコール。今度はMacollaのメンバーが参加しての「風になりたい」を! どこの国に行っても、その国の唄になるのは「島唄」だけじゃないんだなぁとこの土地で「風になりたい」を聴いて、そう思った。
ニカラグアの湿気た風に乗った歌になってました。
終演後、とびっきりのおめかしをしてライブを観に来てくれていた昨日の子ども達が楽屋を訪ねてくれた。
「言葉はわからなかったけど、言っていることはすごく伝わった」って、まっすぐな瞳で話してくれた女の子。
必ずまた、この子達の前で歌う日を作りたいって思ったのは、宮沢だけじゃなく、ここにいた人たち全員の気持ちだったと思う。
今回のPodcastingはこのライブから、「島唄」をスペイン語で紹介するMC、そして「島唄」を聴いての大歓声です。唄が伝わる瞬間をぜひ感じ取ってください!
→ 「ニカラグア・ライブ写真速報」もあわせてご覧ください。また、この公演は、ニカラグアの新聞・El Nuevo Diario紙、La Prensa紙でも写真入りで報じられています。
ニカラグアの子どもたち
10月11日、マナグア。
1972年、ニカラグアで大地震が起こりました。首都であるマナグアでさえも30年以上も前のその大地震の被害から立ち直っていません。MIYAZAWA-SICKがコンサートを行う劇場のすぐ近くにも、廃墟となったビル群があり、スラムとなっています。
日本を出発する少し前に、そこで暮らす子ども達に音楽や工作を教えている日本の青年海外協力隊員から、長い手紙を受け取りました。
私たちはその手紙を読んで、子ども達に会いに行きました。崩壊したビルに暮らす彼らの多くは、貧困や虐待のために学校に行くことすらできません。私たちの日常からは想像できない現実がここにはあります。
ここで彼ら、彼女たちに出会えたこと、一緒に歌を歌えたこと、私にはまだ、その経験を言葉でうまく伝えることができません。
ニカラグアへ
10月10日。前夜のライブが嘘のような静かな朝が来て、あわただしく空港へ向かう。
ホンジュラス公演の為に全力を尽くしてくださった、日本大使館の井上さんや伊藤さんともここでお別れ。本当にありがとうございました!
サンサルバドルを経由して、一路ニカラグアへ。
夜遅くに到着したニカラグアは、ホンジュラスの街以上に真っ暗。
ここでもまた、バスの中で大使館の方に「街にはなるべく出歩かないようにしてください」と注意を受ける。
22時も過ぎた頃、ようやく晩ご飯にありつく。
Macollaと宮沢和史
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