宮沢和史からコメント到着!
キューバ・ハバナでのライブが中止になったことで、このblogにもたくさんのご心配、ご声援のメッセージをいただきました。おかげさまで、ライブこそ中止になったものの、一行は大きな事故もなく帰国することができました。ありがとうございました。
さて、ツアーを終えた宮沢から久しぶり!のPodcastingが届きました。ぜひお聴きください。宮沢はとっても元気です。
今後はツアー先で撮影した写真を中心にアップしていきます。
そちらも楽しみにお待ちください。
まずはメキシコ・グアナファトでの宮沢。街角の店先にたたずむ人形と。
「おまえもたいへんだよなぁ」
→ 11月第2週の週末から第3週にかけて、関西他でオンエアされる高野寛のラジオ番組『FAR EAST SATELLITE』は、この中南米ツアーの特集です。60分間で約1ヶ月の旅を振り返ります。宮沢和史をはじめ(メキシコで収録)、メンバーのコメントも多数オンエア。放送局、放送日時は番組サイトでご確認ください。
『Juventud rebelde』掲載のMIYAZAWA-SICKハバナ公演評
→ 10月18日のキューバ・ハバナのカール・マルクス劇場でのMIYAZAWA-SICKとMoneda Duraのコンサート評が、キューバのメディア『Juventud rebelde』(10月22日“Espectacular”欄)に掲載されました。以下はその日本語訳です。
Espectacular
「キューバの首都で開かれた宮沢和史と彼の素晴らしい多国籍バンドの熱烈なコンサートはAからZまで考えられていた」
by Jose Luis Estrada Betancourt
種は植えただけでは育たない。水を撒き、世話をし、大切に見守ってあげなけれいけない。火曜日(10月18日)、ついさっきまでNassiry LugoとMonda Duraのライブで踊り、狂気までにも達していた若者達の集団があの巨大なKarl Marx劇場から立ち去る光景を見て、そう思った。そして、そのすぐ後に起こったことにとても残念な気持ちになった。間違いなく、素晴らしいショーを観ることができた私にではなく、魅力的で興味深いものが“Callejero”の歌い手(※宮沢和史の前に出演したキューバの人気バンドMoneda Duraのこと)で終ったと思った人たちは、日本のPop Rock界で最も重要なアーティストであるかもしれない、宮沢和史の素晴らしさを楽しむ大きなチャンスを逃してしまったからだ。
若者の音楽の鑑賞力を育てたいという努力をしてきたが、それはまだまだ充分ではない。その原因は、宮沢の音楽のプロモーションが足りなかったのか、コンサートの音楽的なプロデュースが間違っていたことにあるかもしれない。両方なのかもしれない、Moneda Duraはいいホストとして、15曲以上を一息もせずに演奏するのではなく、3、4曲をやってゲストの宮沢和史を紹介すべきだった。
説教をおいといて、文化的に今年の最も重要なイベントのひとつであったコンサートにスポットを当てよう。宮沢和史がTHE BOOMと並行してソロ活動のために結成したグループ、MIYAZAWA-SICKは堅実で豊かだけでなく有力でもある。明らかに、和史は才能のあるアーティストであり、大きなスポンジでもある。彼の100%コンテンポラリーな音楽は、日本の伝統音楽とオリエンタル音楽、西洋の音楽に同じプロポーションで影響を受けている。彼の音楽はそれらの優れたフュージョン、もしくはミックスで、リスキーであるからこそ勇気に満ちていて、でも決して底なしの袋に落ちない。どちらかというと、有名なあの日本のマッサージのように、ありとあらゆる感覚と感動を伝える(与える)ことに成功している。
(※一曲目に演奏された)「沖縄に降る雪」はプレゼンテーション・カードだった。そしてこの一曲は、ステージ上にいるのはアマチュア・ミュージシャンではないことを示すために充分だった。逆に言うと、宮沢と彼の素晴らしい多国籍バンドのコンサートはAからZまで考えられていた。
日本の南に位置する沖縄は、甲府生まれのミュージシャン(※宮沢)に深くショックを与えたことは、その日、確かに感じることができた。彼の一番代表的な楽曲、「島唄」は、第二次世界大戦の終わりにアメリカ軍が防空壕を爆破した悲劇にインスパイアされている。
「ハバナで初めてコンサートができて幸せです」と、宮沢ははっきりとしたスペイン語で言い、「次の曲は戦争を好む世界に平和を呼びかける歌です」と、言葉一つ理解できなくても、どうして150万枚も売れた曲なのか聴けばすぐわかる、その「島唄」について話した。
その夜、「島唄」の3ヴァージョンを聴くことができた。一番目はNassiryと彼のバンド(※Moneda Dura)による、バタ太鼓、グアグアンコやルンバのアレンジで、キューバン・ティストに溢れるヴァージョン。二番目が、オリジナルに一番近いと思われる宮沢自身のヴァージョンと、三番目にコンサートの二人の主役(※宮沢と、Moneda DuraのボーカルNassiry Lugo)によるヴァージョン。アンコールの最後に、Nassiryの一番美しい曲であろう、「Ahora Quiero Decir」(「いま言いたいこと」)がデュエットされ、宮沢和史の美しいハープが加えられ締めくくられた。
しかし、「一羽のツバメだけでは夏にならない」ということわざ通り、宮沢はどこに行っても通用するバンドを集結させる、高レベルのミュージシャンであることに間違いない。このバンドはシンフォニー・オーケストラのようであり、才能あるミュージシャンたちはお互いに競い合うわけではなく、このようなショーが必要とする真の共犯者のような関係をみせてくれた。そんな私の言葉を証明するために、「Mandala」というサウンド・エフェクトに満ちた美しい楽曲が存在していた。
ブラジル人のFernando Mouraは「Tokyo Story」のような曲にジャズ・ティストのソロや、ダンサブルな曲(「風になりたい」)にはPatio(庭)のピアニスト達に何もうらやましがることなくTumbaoの主になれるピアニストだとみせてくれた。彼と同じく、パーカッションで魅了した、ブラジルのMarcos Suzanoは、宮沢がアルバム『AFROSICK』(1998年)のレコーディングに南米の大国に出向いたおかげで出会った。その時に生まれたのは「Na Palma Da Mao」や「Ilusao De Etica」という曲で、宮沢はカリオカ(※ブラジルのリオ)のリズムには無関心ではいられなかったことを思い知らされた。
話すようなトランペットを聴かせてくれるLuis Valleはハバナで生まれた。コンサートで彼の才能をアピールする場は少なくはなく、「Save Yourself」、「Tokyo Story」「君だけがいない世界」や「風になりたい」で示してくれた。コーラスのClaudia Oshiroの声は、5人ぐらいのバック・ヴォーカルが宮沢をサポートしているかのようにさえ聞こえた。今福健司もそのリズムが日本であれ、ブラジルであれ、ラテンアメリカからであれ、パーカッション・セットの中で水中に泳ぐ魚のようにプレイしていた。
宮沢に感謝すべきであることは、彼がたまにギターと交換して弾いていた三線や踊りは得意でなくても、宮沢の音楽性はいつ、どこでも通用する音楽だということを証明してくれた「香珠」での、鳥肌を立たせられたメロディーを引き出す中国のヴァイオリン、二胡のような見慣れない楽器を紹介してくれたことだ。
ここまで読めば、去る火曜日、Nassiry(Moneda Dura)は宮沢の影に隠れてしまったと思えるが、全くそんなことはなく、彼は若者やティーンエイジャーという難しい観客を手なずけた。パワフルで、カリスマがあり、いい声を持つ歌手であることを証明した。「Ojala」(Silvio Rodriguez)や「Yo no te pido」(Pablo Milanes)のスタンダード・ナンバーをファン達に近づかせたことには拍手を贈りたいくらいだが、彼の音楽の行く先は骸骨(Skeleton)を動かす(「Ni dulce ni sala」「Equivoca」、「Lola」など)方向へと向かっている。しかし、個人的には「Sin Hablar」や先ほど挙げた「Ahora quiero decir」のような曲が好みだ(年齢というものは容赦ないからだ)。
最後に、魅惑的な空間と忘れられない夜をプレゼントしてくれた宮沢和史は、音域の広いパフォーマーであり、ミュージシャンという言葉の意味を最大に表したミュージシャンだと記したいことと、キューバ人はキューバは音楽の島であることを誇りに思うことはとてもいいことだけど、それは同胞が輝いているのを観る時に鼻を高くするだけという意味ではなくて、しばしば異国から届けられるものの価値観を尊重することも大切だと言いたい。
グアナファトの歓声
画像をクリックすると、ビデオが再生されます。
→ 10月16日、メキシコ・グアナファトでのライブ、フィナーレの映像です。この大歓声をお聴きください。グアナファトのライブについてはこちらの写真や、テキストもご参考に。
MIYAZAWA-SICK メキシコ・グアナファトのライブ写真
→ 10月16日(日)メキシコ・グアナファトでのライブ写真です。ツアーblogスタッフによるライブ・レポートはこちらです。このライブはメキシコのテレビ局によりメキシコほぼ全土+アメリカ合衆国の一部に生中継された他、インターネットでストリーミング放送もされました。
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