宮沢和史写真

宮沢和史

1966年山梨県甲府生まれ。1989年、THE BOOM『A Peacetime Boom』でデビュー。これまでに11枚のアルバムを発表。 THE BOOMの活動と並行して、ソロとしても国内外で積極的に活動し、これまでに4枚のソロアルバムをリリース。ベストアルバムはブラジル、アルゼンチン、イギリス、ロシアでも発売されている。

TOUR SCHEDULE

  • 10月2日(日)
    ブラジル・ロンドリーナ
  • 10月6日(木)
    ブラジル・サンパウロ
  • 10月9日(日)
    ホンジュラス・テグシガルパ
  • 10月12日(水)
    ニカラグア・マナグア
  • 10月16日(日)
    メキシコ・グアナファト“セルバンティーノ国際芸術祭”
  • 10月18日(火)
    キューバ・ハバナ
  • 10月19日(水)
    キューバ・ハバナ

MEMBER

  • 宮沢和史 /
  • GENTA /
  • tatsu /
  • 高野寛 /
  • 今福“HOOK”健司
    /
  • マルコス・スザーノ /
  • フェルナンド・モウラ /
  • ルイス・バジェ /
  • クラウディア大城 /
  • 土屋玲子

LATEST RELEASES

GANGA ZUMBA Tシャツ

GANGA ZUMBA Tシャツ

GANGA ZUMBA 初のオリジナルTシャツ

EURO ASIA

DVD『EURO ASIA』

2005年1月~2月、ヨーロッパ・ツアーのドキュメンタリーDVD

コシカ/ひとつしかない地球

SINGLE
『コシカ/ひとつしかない地球』

2005年初頭のヨーロッパ・ツアーから生まれた曲

SHIMA-UTA EP

『SHIMA-UTA EP』

iTunes Music Store世界20カ国で配信された「SHIMA-UTA(島唄)」ほか宮沢和史作品


高野寛によるMIYAZAWA-SICK中南米ツアー特集

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→ 11月第2週にオンエアされた高野寛のラジオ番組「FAR EAST SATELLITE」でのMIYAZAWA-SICK中南米ツアー特集のスタジオレポートが、番組サイト内こちらにアップされました。宮沢和史をはじめとしたメンバーからのコメント、高野寛によるツアー・エピソードが聴けます。
(写真は、メキシコ・ティオティワカンのピラミッドで撮影)

2005年11月29日19時19分
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宮沢和史、『小説新潮』最新号に中南米ツアーの手記を発表

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→ 11月22日に発売の『小説新潮』12月号に掲載の宮沢和史の連載「言の葉摘み」で、宮沢が今回の中南米ツアーの手記を発表しています。
ハリケーンによるコンサート中止の報を聞いた瞬間の気持ち(キューバ)、ブラジルでさらに深く知った移民のこと、ホンジュラスでの銃声、ニカラグアで出会った子どもたちのこと、メキシコ・グアナファトのフェスのことなど、この旅で感じたことを記した今回のテキストは、このツアーblog+podcastingの読者にぜひ読んでほしいです。
なお、MIYAZAWA-SICK全員がブラジル滞在中に見ていて、今回のテキストでも宮沢が推薦しているNHKドラマ『ハルとナツ〜届かなかった手紙』の再放送が12月5日(月)〜9日(金)BSハイビジョンで決定しています。また、DVDは2006年1月27日に発売になります。

2005年11月21日16時50分
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ニカラグアの新聞に掲載されたライブ評

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→ 以下は、10月15日、ニカラグアの新聞『El Nuevo Diario Nicaragua』に掲載された、MIYAZAWA-SICKニカラグア公演のレポート記事です。
当blog内でのニカラグア公演に関するエントリーはこちらこちらです。
 
 
「Miyazawa la partio!」
 
盛大なコンサートだった。
日本のロック・アイドル、宮沢和史が自身のバンドと共に10月12日に行なったコンサートを要約したら、こう表すことができる。好奇心で足を運んだ人もたくさんいたと思うが、ニカラグア在住の日本の若者達が待ち遠しいように列に並んでいる姿、ストライプのパンツと頭に巻いたバンダナを見れば、彼らは何を観に行くのか知っているということがすぐにわかった。保守的な他の人たちはルベン・ダリーオ国立劇場のフォーマルな服装で出席した。
 
カーテンは夜の7時10分にMacollaのステージで開かれた。パワフルに、トロピカルに官能的に彼らの有名なパロ・デ・マヨを歌い踊り、日本語でも歌い、日本と中米の修好70周年の祝いに作られたサルサも演奏した。
 
「70年の歴史を、日本がどう中米に手を差し伸べてくれたのを思い出させるこのサルサで祝いたい」とMacollaのボーカルの一人が語った。「文化と文化を結んだ、友情と協力の70年」。
 
何リットルものの音楽
 
ステージにはボーカル用のマイク・スタンドが4本あった。そしてその後ろにミュージシャン達。Macollaの3人のボーカルたちは何リットルものの音楽の汗をかいていた。MIYAZAWAの世界的なヒット、「島唄」の、おいしいレゲエ・バージョンも汗をかいた。
 
「結合のシンボル」とMacollaが最後の曲を紹介したあとに、太鼓やシンバルや花火やスピーカーの大げさな音量の入場なしに、MIYAZAWAはステージに静かに現れた。
MIYAZAWAは、カーテンが上がった時から空いていた4本目のマイクの前に立った。彼は緑や青緑、水色の柄のシャツと、両サイドに白い装飾のついた黒いパンツを着て、つま先のとんがった珍しい靴を履いていた。その曲(「ひとつしかない地球」の共演)が終わり、メイン・イベントが始まった。
彼のバンドMIYAZAWA-SICKが日本のディーヴォをセンターに配し、ステージを支配した。そして、私は彼らがロック・ミュージシャンであることを知った、それも素晴らしいロッカー。だからこそ、この会場に詰めかけた日本人達は誇らしそうに輝いていたのだ。
 
映画ではなかった。ロッカー達だった。多くのミュージシャンはスリー・ピースの衣装を着ていて、弦と枠だけの、ギターみたいにオリジナル・デザインの楽器を持っていた(※高野寛が今回のツアーで使用したギターのこと?)。みんな、ロボットみたいな動きをしていた。しかし、ロックだけではなくラップもサルサも演奏した。
 
宮沢スタイル
 
MIYAZAWAはいろいろなスタイルを自分の音楽に取り入れるアーティストだ。ある曲ではお経を読んだ。ヒンドゥー人がお祈りするときの発声の仕方と似た、たまにカトリックがラテン語で歌ったり祈ったりするときのように歌って、みなを驚かせた。観客の中にはそれを呪文か魔法だと解釈した人もいる。英語、スペイン語、日本語で歌い、セルバンテスの言葉(※スペイン語のこと)も使ってみた。「こんばんは、宮沢です。初めてニカラグアでコンサートができて幸せです。僕らの音楽を最後まで楽しんでください」とスペイン語で語った。
 
「戦争のない平和な世界を求めてこの歌を歌います」と話して、「島唄」が始まった。観客はスタンディング・オベーションを贈った。MIYAZAWAはさまざまな楽器も弾きこなした。アコースティック・ギター、エレキ・ギターを弾き、カスタネットやホイッスルと、日本の伝統的な楽器も披露した。
 
ステージが暗くなり、コンサートが終ったように思えても、観客は席から少しも動かず、「OTRA, OTRA」(アンコール、アンコール)と叫び続けていた。そして、シャツを着替えたMIYAZAWA、バンドとMacollaがステージに出てきた。アイドルは「来てくれてありがとう。また戻って来たいです、そしてこの友情がもっと大きくなるのを願います」と話、タンバリンを手に、「風になりたい」を歌ってお別れをした。「また会えるのを楽しみにしています」。
 
この劇場にこれまで染み付いてきた歓声、音楽や拍手の中でも、この夜の拍手や音楽は特別な思い出に残ったことでしょう。

2005年11月18日16時06分
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ブラジル・パラナ州の新聞に掲載された宮沢和史インタビュー

→ 以下は、10月7日、ブラジル・パラナ州で発行の『PARANA新聞』に掲載された宮沢和史インタビュー記事(原文はポルトガル語)の日本語訳です。ロンドリーナ公演(10月2日)についてのエントリーはこちらです。
 

「MIYAZAWAは三世代のファンを集結させた」
 
日本の歌手、宮沢和史が、去る日曜日(10月2日)、ロンドリーナで、待ちに待ったコンサートを行なった。二時間に渡ったパフォーマンスで、幅広いリズムとスタイルの音楽がオウロ・ヴェールジ(※会場の劇場名)にいた観客を虜にした。
9人の多国籍ミュージシャンに囲まれて、宮沢はロックからバラードへ、英語、ポルトガル語、そしてもちろん日本語で歌い、完全にブラジリアンなリズムの曲に合わせてサンバのステップを披露した。観客は魅了されていたが、盛り上がっていたわりには立ち上がろうとはしなかった。しかし、アンコールで一番好きな曲を耳にしたとき、観客は立ち上がるだけではなく、一緒に踊ったり、「島唄」のサビを歌ったりした。
終演後、数多くの新しいファン達が、もっと近く触れ合うために、買ったばかりのCDを手に宮沢のサインを待っていた。
 
宮沢は、今年2回目(※1回目は8月19日に掲載されたこちらの記事)の『PARANA新聞』独占インタビューに答えてくれた。
 
———ブラジル音楽のどんなところが一番好きですか?
宮沢 世界中のどこを探してもみつからないリズム、ハーモニー、メロディーと歌詞のフュージョンからなる組み合わせです。それが僕を惹きつける一番の理由です。
 
———あなたは音楽でどんなメッセージを伝えたいですか?
宮沢 (少し考えて)僕はいつも社会的なテーマを表現しています。世界に起こることを見つめて、人間の心の奥深くに刻まれる物事について歌う。「島唄」もそんなふうに生まれました。第二次世界大戦のときに沖縄で起きたことを歌っている。平和は美しくて、戦争は卑劣だってことだけを言いたいのではないけれど、戦争に至る理由を歌を通して見せたい。それは、誰も気付かない小さな事なのかもしれない。どうして平和は大切だってことかを伝えたい。 9.11の同時多発テロをテレビで見てショックを受けました。人の命のはかなさや、一瞬で数多くの命が消えるということについて考えさせられて、また曲を作りました。
平和へのメッセージを世界中に伝えるために力になりたいです。一人一人が自分のできる範囲でできることを心がけたら、世界中が少しずつ平和になっていくのではないかと思います。
 
———つい最近、あなたはロシア・サハリンでコンサートを行ない、どうして「コシカ」という曲を歌ったかをロシア語で説明しましたそうですね。ここブラジルで、ポルトガル語で歌ったり話したりするほかに、ヨーロッパでは英語で話をし、アルゼンチンではスペイン語で。結局、あなたは何ヶ国語が話せるのですか?
宮沢 僕は日本語さえ怪しいです(笑)。ちゃんと歌うためにポルトガル語の発音をたくさん練習しました。そしてそれは癖になっています。ポルトガル語の訛りでロシア語を話して、軽い反感をかってしまったこともある。ポルトガル語ではエスコーラ・ヂ・サンバで歌うことができますし、ギター1本だけでもっと親密な場所で歌うことができます、それもどちらも完璧なアンサンブルで。
 
———コンサートをロンドリーナの観客はどう受け止めたと思いますか?
宮沢 客席にいろんな世代の方がいるのを見ました。子ども、若者、お年寄り。僕はロックを歌ってるので、いつものお客さんは若者が多いので、ロンドリーナのみんなが気に入ってくれるのかが最初は心配でした。でも最後にはみんな立ち上がって「島唄」を歌い始めてくれたのを見たときに、気に入ってくれたということがわかった。一番良かったのは、僕のコンサートにいろんな世代が集まっているのをみられたことです。
 
———ロンドリーナは気に入りましたか?
宮沢 いま、東京に住んでいるのですが、僕は東京から離れた町に生まれました。物が豊富で便利ということで、大きい町は好きだけど、静かでゆったりした町も好きです。ロンドリーナは好きです。
 
———ロンドリーナにまたコンサートをしに戻りたいと思いますか?
宮沢 2008年の、ブラジルへの日本移民100周年に向けてプロジェクトがあります。中川トミさんにも会いました。移民100周年の歌を作ってブラジルで歌いたいという夢があります。またブラジルでツアーをするためにはたくさん用意すべきことが出てくると思うけど、そのときにはもちろんロンドリーナもツアーのスケジュールに入れます。大きいツアーができなかったとしたら、ロンドリーナ祭りに一人でも歌いに来ます。ぜひ戻って来たいです。

2005年11月17日17時50分
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