マルコス・スザーノ、フェルナンド・モウラ、宮沢和史『AFROSICK』を語る。

マルコス・スザーノはパンデイロの革命家


宮沢 マルコス・スザーノとフェルナンド・モウラのプロフィールを簡単に紹介します。マルコス・スザーノ。パーカッショニスト。リオデジャネイロ生まれ。パンデイロ――これはサンバなんかでは比較的地味にバタバタやるタンボリンに似た打楽器なんですが、スザーノは皮をたるたるに張って、ドーンというドラムのような低音を出す奏法を考えた人、パンデイロの革命家です。彼が参加した作品にブラジル音楽のエポック・メイキングな作品がたくさんあるし、ブラジルで話題になったアルバムには彼の名前が出ているという素晴らしいプレイヤーであり、プロデューサーであります。例えばマリーザ・モンチの『ローズ・アンド・チャコール』やメストリアアブロージオやパウリーニョ・モスカもそうですし、『AFROSICK』にも参加しています。
 そしてフェルナンド・モウラ。キーボーディスト。リオデジャネイロ生まれ。5歳 からピアノを習い、17歳から作曲編曲の勉強を始める。90年にモントルー・ジャズフェスティバルに出たり、マリーザ・モンチのツアーで日本にも来ています。93年、チャック・ベリーのブラジルツアーも同行。そうなんだ。すごいねえ(笑)。コマーシャルや映画音楽にも活躍、マルコス・スザーノの『サンバタウン』『AFROSICK』にも参加しています。


『AFROSICK』に参加したミュージシャンたちに共通するもの


宮沢 『AFROSICK』はブラジルのサルヴァドールとリオデジャネイロで録音してきたアルバムなんですが、今をときめくブラジルのシンガー・ソングライターやミュージシャン、プロデューサーたちが参加してくれました。スザーノとフェルナンドにどんな人たちが参加しているのか、ちょっと紹介してほしいんです。
フェルナンド このアルバムに参加しているのはブラジルの音楽シーンの中で新しい価値観、価値体系を作り上げていこうとしている人たちだね。80年代前半にはMPB全盛の時代があったけれど、その後レコード会社の方向転換もあってかアメリカナイズされたポップスが流行り、その頃のバンドにはブラジルのブの字もなくなってしまった。ところがそういう音楽だったんでさっと廃れてしまったんだ。
『AFROSICK』に参加しているミュージシャンたちは、決してブラジルの音楽だけをピックアップするわけじゃなくて、ルーツももちろん大切だけど他の音楽と混ぜてもいいんじゃないかっていう考えを持ってる。ブラジルの打楽器とギターを一緒に使っても音楽になる。グローバリゼーションの時代の音楽といえるものを彼らは作っている。だからMIYAZAWAとのコラボレーションは絶対うまくいくはずだし、うまくいってるんだ。
宮沢 そこが僕と共通している。日本のポップ・シーンは非常に歴史が短いけど、僕はその中のすぐれたものや日本人らしさを大事にしたいし、そうはいっても新しく世界の音楽と交配させたい。良い意味でフュージョン、クロスオーバーさせたいというのは本当に願っているところなんだ。スザーノも、デモテープを聴いた段階で、そんな僕の意図を汲み取ってくれて、今回のような素晴らしい人選をしてくれたんじゃないかな。
マルコス フェルナンドが言ってることは現在の音楽シーンをうまく要約している。
レニーニもパウリーニョ・モスカもペドロ・ルイスも今出てきたから新人と言われて るけど新人じゃない。年齢も35より上だ。音楽のミクスチャーが見直されてきてるの と同時に、時代の前面に出てきたんだ。今、ブラジルの16歳とか17歳の音楽にのめり込む世代は、みんな『AFROSICK』に参加しているカルリーニョス・ブラウンやシコ・サイエンス&ナサォン・ズンビやペドロ・ルイスを聴いてる。彼らが出てきたことで、自分がブラジル人であることに若い人達が誇りを持てるようになったんだ。僕自身もかつてジャバンに「パンデイロなんてごめんだよ」と言われたんだけど、今になってみるとジャパンは45歳ぐらいの年代のためにショーをやってるようなもんで、若い人はジャバンなんか行かないで、ペドロ・ルイスやサンバタウンに行くわけだ。レニーニのアルバムはすげーロックなのにポップなのにブラジルだぜってことで、ブラジルがうれしくなってしまうというわけです。ところがこうやって出てきた人たちは、それほどアルバム・セールスがいいわけではない。だがショーにはいっぱい人がくる。セールス的にはいつの時代でもあるようなポップスが売れてる。
宮沢 ミュージシャン同士の中で「あいつはすげえんだ」というミュージシャンズ・ミュージシャン的な存在ですね。そういう意味では売り上げと内容が一致してるわけじゃないですけど、日本の音楽シーンもそうですね。
マルコス 彼らはずっと雌伏の時代を送っていたけど、昔からやり続けたことが今になって爆発したんだ。ペドロ・ルイスのショーなんて今いちばんホットだろう。『AFROSICK』に参チミュージシャンがブラジルのそれぞれの地域を代表するような存在だというのも、このアルバムの非常に面白いところだね。カルリーニョス・ブラウンはサルヴァドール。パウリーニョ・モスカはリオ南部の中流階級より上の人たちが住む裕福な地域の出身で哲学的な歌詞を書いた。レニーニはレシーフェ出身だし。
洪水をも乗り越えたアフロにとり憑かれた男たち


宮沢 ロンドンで7週間レコーディング(『Sixteenth Moon』)してたでしょ。雪はなかったけど雨が降って、寒くてマフラーするような所から、リオならまだしもいきなりサルヴァドールへ行って、空港に着いたら本田さん(ラティーナ編集長。今回のレコーディングをコーディネイトした)が手を振ってて(爆笑)、あれにはぐったりきましたけど。僕がサルヴァドールでカリーニョス・ブラウンとレコーディングしてる間に、リオではビヂとフェルナンドとマルコスが別の曲の作業を進めてました。クリスマスと正月はブレイクがちょっとあって、1月3日からまた再開したんですが、何か印象に残ってるエピソードはありますか?
フェルナンド 洪水。あんな洪水は15年か20年ぶりだった。「ILUSAO DE ETICA」という曲を夕方からミックスするはずが6時間半遅れて、夜中の2時から始めて翌朝の11時まで。
宮沢 そう。みんな家は出てるんだけど到着できない。
フェルナンド 当然そういう状況でやったミックスはダメで、またあとでやり直したんだけど(笑)。
宮沢 まあ〆切が決まっていたんで根つめてやんなきゃというムードはあったんだけど、夜中の2時に集まって作業やろうなんて日本では思わないよね。もう洪水だからナシだってなるじゃないですか。でもみんなが集まってくれて、その日のミックスは採用にはなりませんでしたが、うれしくてみんなと知り合ってよかったと感動した日でした。朝4時くらいに朝刊が届きましてね。洪水で沈んだ車の屋根の上に男が立ってる写真が載ってて、その男がフェルナンドに似ててね、これフェルナンドじゃないかってみんなで言ってたんですけど(笑)。
マルコス スタジオへ来る途中で車のホイールが沈んでしまった。遠いところに住んでるヤツは木が倒れてたから消防隊が木を切るまで通ることができなくて、それでも1時30分ぐらいには来ることができた。契約があるから行くとかじゃなくて、行かなくちゃいけないという感じがしてた。
宮沢 毎朝9時くらいから始まってるんですよ。僕は歌も歌わなくちゃならないからお昼ぐらい、ちょっと遅く重役出勤ですけど、僕の歌を録って、そのあとまた一からトラックを録り直すことがあって、夜中12時とか下手すると朝の5時とか。でもその数時間後にはマルコスが来てくれる。フェルナンドもトラックができた時点で彼の仕事は終わったはずなんですが、僕の歌入れに全部立ち会ってくれてた、ずっとつきあってくれて。最初はマルコスがプロデューサーだったんですけど、ふたりで最後まで全部かかわってくれたんですよ。
フェルナンド 実は一番最初、「CINCO OU SEIS」という曲を歌入れしたときドキドキして心配だった。ポルトガル語で歌うのは大丈夫だろうかと心配だったんだ。歌がわからなければ意味がないからね。でもその時に歌ってるのを聴いてノックアウトされてしまって、それからレコーディングに付き合いたいという気持ちになったんだ。ブラジルでは、力もなければ説得力もない、言っちゃえばプロ精神に欠けるようなシンガーも多くてね。そんな人達とMIYAZAWAを比べてはいけないんだけど、今回のレコーディングのような環境で仕事をしてみて、MIYAZAWAのプロ精神の徹底したところというか、熱意が伝わってきた。しかも、それは僕らふたりにだけじゃなく、参加したミュージシャン全員に伝わったと思う。例えばホーン・セクションの連中とかも、自分たちの仕事はとうの昔に終わったっていうのに、あれはどうなったんだ?って、興味を持って聴きたがったりね。MIYAZAWAが新しいものを求め、作っているということにみんなが興味を示したんだと思う。
マルコス パウリーニョモスカが歌詞を書いてきたときに、「いい歌詞ができた。でもオレが歌っても難しい箇所があるんだよな」と言ってきたんで、わあっと思ったんだ。
宮沢 パウリーニョ・モスカは友達に歌詞ができたときに歌って聴かせたら、「早すぎてわからないよ」って言われたそうなんですよ(笑)。僕に歌って聴かせてくれた時も自分でもつっかえてて、こりゃ歌えないよって思ったんですけど、フェルナンドとマルちゃんがずっとつきあってくれまして。
マルコス レニーニは韻を踏んで「R」は多用するは、「T」は出るは、子音が繋がる言葉が多いし、ひーっと思ったんだけどうまくいったね。あと「NA PALMA DA MAO」という曲が大変な曲で、ベースを全部やり直して、歌詞でもめて、でもペドロ・ルイスの歌詞ができてきて、この曲で関わってる人たちのグルーヴが変わった。
宮沢 どうしよう、これっていう感じだチたんですが、結果的にいちばん作業中に踊る曲になりましたね。みんなで「せーの」で作ったからね。
マルコス パウリーニョもペドロもレニーニも時間をさいてはどうなってるのかと見にきた。参加した人間だけじゃなくて、リオのミュージシャンの間で、なんかやってるな、なにやってるんだと関心がすごく高かった。今まで外国人がリオにやってきてブラジル人とレコーディングするのはそんなに珍しいことじゃないけど、ブラジル人がフォルクローレぽいことをやってそれをテープに録ってロンドンでもどこでも持って帰って、あとで勝手に料理する、そういう冷めた感じのものが多かった。でも今度は全然違う道が開けたんじゃないかとみんなが思ってた。
宮沢 本当に共作だよね。
マルコス「AFROSICK」というタイトルもばっちりだ。「AFRO」というとブラジルのカンドンブレのミュージシャンを50人ぐらい集めてパーカッション叩かせるとか、ナイジェリアのプロの打楽器をイメージしがちだけど、そんなことしなくてもこのアルバムを聴けば音楽のルーツがアフロにあるのは一目瞭然だ。聴けばちゃんとわかるんだ。
宮沢 これはサルヴァドールで思いついた言葉で造語だけど、僕らはカルリーニョス・ブラウン以外アフロ系ではないけど、アフロ起源の音楽、ジャズだったりスカだったりレゲエだったりヒップホップが好きだという共通項があって、「アフロにとり憑かれた男たち」という意味でこのタイトルを言ったらみんな喜んで、ビヂなんてアフロシックのマークまで考えちゃって、いいタイトルだなあと盛り上がったんだよね(笑)。


(通訳=国安真奈/「極東ラジオ」オンエア分を編集、構成)